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【舞台批評】無体「日常行為が倫理から外れる恐れがあるので悟りを開こうとしたが至難。これがおどりと言えるのか」

中野区観光大使、微学校校長、イラストレーターでもあるヨシムラヒロム氏から初日の舞台批評を頂戴しました。

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今回の舞台を見て、感性は活性化し心はダンスをした。

全ての表現は、鏡に似ている。

絵画、写真、インスタレーション、文学、舞台、全ての表現は、鏡の如く現代社会を映す。そして、鑑賞者の心情を映し出す。

無体「日常行為が倫理から外れる恐れがあるので悟りを開こうとしたが至難。これがおどりと言えるのか」という舞台を見た。舞踏と演劇のちょうど中間の不思議な公演だった。暗い中、舞台を見ていると自然となにかを考える。「ここが良かった」「自分だったらこうする」「こういった意味なのかな」と。そういった疑問が、自分というカタチをクッキリ浮かび上がらせる。

誰とも話さず、人々が動き回る日常ではありえない景色を見ていると、普段考えないことも浮かぶ。表現が自分というフィルターを通過し、抽出された表現が身に沁みたからだ。その瞬間に、感性は活性化し心はダンスをする。

今回の公演は、作品のメッセージ性が強いため考えることも多い。これは演出家・中西晶大の意図だろう。iPhone、新自由主義、個性、人との距離感といった社会問題が誰でも分かるカタチで登場する。隠喩で隠すことはない、素直に示される情報からは、中西の強い憤りを感じた。

舞台上で9人の演者が、自らの両手で目、耳、口を塞ぐ行為を幾度となく繰り返す。この動きを見て、最近の自由なようで不自由な社会を思う。国民の政治参加を促しながら、一般的な政治的ツイートでも苦い顔をされる社会。SNSで自由に発言はできるが、リスクも高く、相互監視の厳しさも増すばかりだ。

問題を暗く扱うものもあれば、逆に明るく切ることもある。公演の中盤で演じられた個性をテーマにしたパートだ。ネタバレ厳禁なので書けないが、なにごとにも個性を求められる今をユーモラスに映す。個性を映し出す鏡は、洗練されている。無体において、このパートが印象に残ったと言う人も多いだろう。中西に元来ある根の明るさが見て取れた。

無体「日常行為が倫理から外れる恐れがあるので悟りを開こうとしたが至難。これがおどりと言えるのか」は、タイトルとは逆に分かりやすい内容。1800円を払えば、60分ほど、9人の男女が目の前で一生懸命演じてくれる。舞台を見ることは、あくまでも余暇。

難しいことも考えず、日常では見れない奇天烈な光景を味わえばいい。目の前に演者がいるのに、全然違うことを考えたりするのも自由。中西のメッセージに対して、怒るのも有り。

つまり気軽に見に来て、面白い/面白くないを自らの視点で計測する。それがオススメ。

 

ヨシムラヒロム(中野区観光大使、微学校校長、イラストレーターなど)

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