文:yum HARUKI
写真:皆藤将
開催概要
出 演:石井満隆、羽永太朗、中津川浩章
司 会:半田晴子
日 時:2016年7月31日(日)15:00〜17:00
会 場:美学校(東京都千代田区神田神保町2-20第二富士ビル3F)
協 力:羽永光利プロジェクト実行委員会
WEB:https://gigmenta.com/2016/art-therapy
出演者紹介
石井満隆:舞踏家。青南病院で舞踏療法を実践した。
羽永太朗:舞踏療法の写真を撮影していた羽永光利(故人)の子息。
中津川浩章:アールブリュットに詳しい美術家。
半田晴子:美術家。青南病院について、個人的に調査を続けている。
このレクチャーを企画した経緯(半田)
2014年4月
黒田雷児に「砂丘への足跡」(羽永光利の写真集)を紹介される。
八戸で育ったことを話したら、これは知っているか、と。それがきっかけで、
半田は青南病院のことを初めて知り、興味を持って自分で調べ始める。
2014年6月
石井の弟子、中西晶大を通じて、半田は石井にインタビュー。
このインタビューの内容は公開されている。
(http://bigakko.jp/interview/mitsutaka-ishii)
2015年
青山|目黒ギャラリーで開催された羽永光利の写真展で、講演された羽永太朗を知り、お話を伺う機会を作りたいと考えていた。
写真集「砂丘への足跡」秘話
光利が青南病院を撮るようになった経緯(羽永)
アンダーグラウンドな芸術分野の写真を撮っていた写真家だった。
青南病院に初めて行ったのは1975年
週刊誌の取材の帰りに見かけて気になって、後日、改めて訪ねて行ったのが始まり。
青南病院は精神科病院で(現在は総合病院となっている)、「芸術療法」として、作品を作ることを治療として行っていた。
光利は、いろんな人(舞踏家、芸術家)を青南病院に連れて行き紹介していた。
患者さんの様子を撮った写真を写真集として出そうとしていたが、直前に出さないでほしいと病院側から申し入れがあった。行政側からも、写真集は出さないでくれとの話があった。
問題となったのは、写真集を出版することの営利性。
写真集を出すとなると、営利となるから、病院への公的機関からの援助が得られなくなる。
患者さんの作品が売れた場合、それが患者さんの収入となって、生活保護を受けている患者さんの場合は援助が断ち切られてしまう。
そこで、光利は、この写真集を自費出版し、「非売品」として配布した。写真集は関係者に配布したり、全国の図書館に一方的に送った。
石井の活動
舞踏演者のメイクも石井が行っている。
かなり本格的な演技。
月に1度の練習、発表会は3回に1度。
一番初めは太極拳から始めた。
石井が、湖南病院など、他の病院に行くようになり入れ替わる形で、大駱駝艦、宇野満も来た。
印象に残っている参加者について
「この子は大野先生どころじゃないですよ」(石井)
患者さんがいつも下を向いていて上を向かない。どうやって上を向かせようか、と思って風船を使った。大きな風船の中に小さな風船をつめて空にあげる。吹き矢で大きな風船を割ると、小さい風船が出て飛んでいく。小さい風船を、地元の暴走族がバイクで追っかけて…。(石井)
病院だからシーツはたくさんある。100枚くらいシーツを使って、縫い合わせてつないだりして大きなテントにしたり…。(石井)
馬六苦記紀(バロックキキーズ)DVD
(所感)
ビデオからDVDに起こしたもの。初公開。
シーツをたくさん使って、ダイナミックな舞台。
患者さん=素人とは思えないほどの動き。演者の人数も多い。(総勢60名)
光利の目線
触ったものを粘土で形作る、盲学校での芸術療法に興味を持ち、撮影。抑圧を解放する活動への関心の高さ、アンテナを張ってたんだなと感じられる。(中津川)
自身の欠損(足が不自由だった)が、欠損者の活動への興味につながっていたのでは。(中津川)
患者さんの顔がはっきり写っている高度経済成長が進む中で、芸術が抑圧されてくる中で、光利は、抑圧されている側に興味を持って、それを撮影することで世に出していくという姿勢だった。(羽永)
一人のヒーローを作ることはしたくない。というのが、千葉院長(青南病院)の考え方。光利とはちょっと考えが違っていたようだ。(羽永)
アールブリュットの定義:教育を受けていない人間が作り出したもの、というのが文明批判も含めてデュビュッフェの定義だが、それが日本に輸入されてきたとき、かなり狭く解釈され、「教える/教えない」論争になってしまった。(中津川)
特に、精神障害の場合、その人に内在するものを引き出すということが重要。一方的に教えるという関係性ではなく、お互いのエネルギーを交換することで見えてくるものがある。深いところでのコミュニケーションがセラピーにつながっていく。(中津川)
一問一答
Q.(半田)衣装もメイクも自分たちで?
A.(石井)そうです。
Q.(半田)総勢60名、演出としては大 変なのでは?
A.(石井)そうです。
Q.(半田)まとまらないとかありませんでしたか?
A.(石井)意外と、ないんですね。みんなよく言うことを聞いてくれた。
Q.(中津川)お客さんはいたのですか?
A.(石井)いてもわずかでした。
Q.(半田)石井先生にとって舞踏療法とは?
A.(石井)舞踏療法を何のためにやるか。自分も含め、患者さんも、みんな人間なんです。その人間の関わり。
お互いにやってることを競争はしない。
お互いに育てる。お互いに教えあう。
お互いに助け合う方法、それをみんな待ってる。
教えてもそれはそんなに意味がない。
Q.(会場からの質問)即興をどのように教えているのか?
A.(石井)ほとんどが即興なんです。考えてやるってことはあまりない。いいものは残ります。悪いものはなぜ悪いのか自分で考えなければなりません。それを統合して、一歩、歩みを進める。
Q.(会場からの質問)即興を踊るときに大事なことは?
A.(石井)すべて大事です。捨てるものはない。
(中西)失敗と仲良くなっていくんだよ、と教わったことがあります。
(石井)はい、その通りです。