「日々の公演」第2回を開催することになりました。
ワークショップ公演「日々の公演」は美学校ギグメンタのプログラムのひとつとして、下記のような呼びかけで、2018年7月末に9日間開催されました。
その日集まった人たちと、その場でつくり、その日の夜に公演します。ということを9日間。日々の生活も繰り返しですが、日々の公演も繰り返しです。日々の繰り返しに疲れることもありますが、そのことに支えられ、救われてもいます。似たような代わり映えしない毎日かもしれませんが、同じ日は二度とありません。集まった人たちによって、日々の公演がどのような姿を見せてくれるのか、どんな人たちに出会えるのか楽しみです。
参加者にお願いしていたのは、鈴木健太君が書いてくれた5つのシーンからなる台本(各A4用紙1枚)を出来る限り覚えて来てもらうこと。その日ごとに集まる人数も異なっており、集合時間になるまで実際のところ何人になるのかも分かりませんでした。ほとんど詩のような台本を手探りで、台詞として、みんなに振り分けて稽古をしました。決めていた唯一のことは、みんなの顔を見るまでは、あらかじめどういう作品にするのか、出来る限り、決めないようにしておくことでした。夜になれば観客を入れて公演しなければいけない訳で、準備しないで手ぶらで居るというのは多少なりとも覚悟のいることでしたが、あらかじめ作品のカタチをイメージするということは、ひとをそのカタチに合わせるようにするということで、それはしたくありませんでした。
実際に始めてみると、同じ台本でも、集まる人たちによって、全く異なる顔を見せてくれました。同じ言葉であっても、意味合いも変われば、日によって鍵になる言葉も違う。台本を書いてくれた鈴木君にとっても、こうしたことは驚くべき体験だったと思いますし、僕自身にとっても千本ノックのような演出力を鍛えられる場になりました。9日間を終えて遅い時間に家に帰りついたとき、無意識に歯を噛み締めていて眠れず、自分でもこんなに緊張していたのかとそこで初めて気がつきました。
言葉と場所を共有することで、初めて会った人たちとも、何事かを立ち上げることが出来るんだということは、
他に得難い体験であり、鈴木君と、また「日々の公演」をやりたいと願っていましたが、なかなかカタチに出来る機会がなく、気付いたら3年経っていました。なけなしの時間とからだで何をやりたいかと考えたとき、再び「日々の公演」をやることにしました。
今回が最初の「日々の公演」と大きく異なるのは、出演者も観客も基本的に同じメンバーで、月に1回集まり、半年間続けるということです。コロナ禍が続いているということもあり、完全にオープンに開催するのは難しいと判断しました。と同時に同じメンバーで継続して深めて行きたいという気持ちもありました。観客についても、観客役と言った方が近いかもしれません。観客も継続して参加してもらい、公演後に出演者、観客、みんなで感想を話し合うという時間も今回は長めに設けることにしました。舞台は見る人がいて、初めて成り立つという気持ちもありますし(故・首くくり栲象さんは「演者と観客は向き合っているのではなく、同じ方向を向いているんだよ」と語っていたそうです)、観客が育たない限り、本当の意味では演者も育たないという気持ちもあります。これは演出したり、台本を書いたりすること全てに当てはまることでもあると思います。
鈴木君に新たに台本を書き下ろしてもらいます。
今回は、毎回異なる1つのシーンのみをやろうと思っています(あくまで現時点での暫定ですが)。
「日々の公演」というよりは「日々の稽古」なのかもしれないと内心思っていたりします。
充実した稽古は本当に楽しいです。
演者役、観客役共に、全6回すべてに参加出来なくても構いません。
みなさんのご参加をお待ちしております。
生西康典
この世界の人を生きている方と死んでいる方、あるいは生きのびた側と死んでいった側、とふたつに分けるなら、この文章を読む私たちは、言うまでもなく生まれてから今日まで、生きている方、生き延びた側に属しています。
と、たった今、こう書いたそばから、この一文が本当かどうか考え始めています。生き延びた、なんて言葉は簡単に使えるのか。そもそもこちら側、あちら側と分けて考えることは正しいのか。正しいかどうか、そう疑うこともくだらないか。文章として根本的におかしいんじゃないか。なら文章の根本ってなんなんだ?
こうして文字を書くと書いた文字が読めます。声にして言うことができます。目にして、あるいは耳にして新しく出会うから、これはなんなのか、自分自身、書いたそばから考えこんでいきます。何かを言うために書くのではなく、考えるために書くのでもなく、書いたものに打ちのめされて、残った体が流されていきます。
今回、自分の何らかの考えを伝えてもらうために、演者を募るつもりではありません。こうしたためらいをごろんと差し出すことから始める予定です。迷いのなかで、まだ見ぬ参加者と同じ場所に待ち合わせて上演を作ろうと思います。動くことと見ること、それから話すことの反復を重ねるにつれ、書く言葉は変わっていくかもしれません。やがて確かなものを見つけるのか、あるいは結局、確かであることはそう大事ではないのかもしれません。今生きている人たちと、思ってもみなかったところへたどり着く日を楽しみにしています。
鈴木健太
<日々の公演2 開催にあたって 生西康典と鈴木健太による対話>
収録 2021年8月5日 美学校スタジオにて
概要
日程と回数の変更について(10/5)
初回10月9日(土)は、現在申し込まれている半分以上の方が参加できないとのことで、10月9日は別日に振替えとし初回は11月6日とすることとなりました。振替日は以下の二日程となります。
2月12日(土)
3月5日(土)
生西康典さんの意向で1日程増え全7回となりました。参加費に変更はありません。開催直前の変更となり大変恐れ入りますがご了承ください。どうぞよろしくお願いいたします。
作・演出など:生西康典と鈴木健太
期 間:2021年10月11月〜2022年3月[毎月1回/全6回 全7回]
開催日:10月9日(土)、11月6日(土)、12月18日(土)、1月29日(土)、2月12日(土)(振替)、2月26日(土)、3月5日(土)(追加開催)、3月26日(土)
時 間:13:00〜22:00(予定)※観客役は開場時間(19:00)からの参加となります。
参加費:演者役 25,000円/観客役 15,000円
定 員:演者役・観客役含めて12名
会 場:美学校 スタジオ(地図)
東京都千代田区西神田2-4-6宮川ビル1階(袋小路奥)
主 催:美学校・ギグメンタ実行委員会
協 力:美学校
◎一日のおおよそのタイムテーブル
13:00(演者役)集合
13:00〜18:30 稽古
18:30〜19:15 休憩
19:00〜 (観客役)入場
19:15〜20:00 上演
20:00〜21:30(上演終わり次第) 返し(演者役・観客役 みんなで話す)
21:30〜 片づけ
22:00 退出
[新型コロナウイルスの感染拡大防止について]
感染拡大防止のため以下の対策を行っております。恐れ入りますがご協力いただけますようお願い申し上げます。
・会場では常時換気を行なっております。
・アルコール消毒液を設置しておりますので手指の消毒にご協力ください。
・マスクの着用、咳エチケットなどにご協力ください。
・発熱などの風邪のような症状があるときや、体調が優れないときは、ご参加をお控えください。
プロフィール
生西康典(いくにし・やすのり)
1968年生まれ。舞台やインスタレーション、映像作品の演出などを手がける。
作品がどのようなカタチのものであっても基本にあるのは人とどのように恊働していくか。
近作は『棒ダチ 私だけが長生きするように』(2021)。インスタレーション作品:『風には過去も未来もない』『夢よりも少し長い夢』(2015、東京都現代美術館『山口小夜子 未来を着る人』展)、『おかえりなさい、うた Dusty Voices , Sound of Stars』(2010、東京都写真美術館『第2回恵比寿映像祭 歌をさがして』)など。空間演出:佐藤直樹個展『秘境の東京、そこで生えている』(2017、アーツ千代田3331メインギャラリー)。書籍:『芸術の授業 BEHIND CREATIVITY』(中村寛編、共著、弘文堂)。
鈴木健太(すずき・けんた)
2014年度美学校実作講座「演劇 似て非なるもの」第2期修了。以降、継続して演劇・パフォーマンス作品の制作活動を行う。2020年よりバンド「山二つ」を始める。重度訪問介護の仕事とグラフィックデザインを兼業している。
美学校 スタジオ
住所:東京都千代田区西神田2-4-6宮川ビル1階(袋小路奥)
アクセス
◇ 東京メトロ半蔵門線・都営新宿線/三田線 神保町駅 A2出口より徒歩4分
◇ 東京メトロ半蔵門線/東西線・都営新宿線 九段下駅 A5出口より徒歩6分
◇ JR総武線 水道橋駅 西口より徒歩7分